独学で絵の道に入り、透徹した精神性でひたすら写実を追求。終生家族を持たず、画壇とも一切関わらず隠者のような孤高の人生を送った。本名彌壽(やじゅ)、字は光雄。
1980年(昭和55年)福岡県立美術館で「近代洋画と福岡展」が開催、同県出身の有名画家に混じり無名の野十郎の作品1点「すいれんの池」が日本ゴム株式会社の出品によって展示された。
当時新人学芸員の西本匡伸はこの絵に強烈な印象を覚え、散逸した作品76点を集めて回り、
1986年(昭和61年)秋同館にて「高島野十郎展」を開催、注目を集めた。
晩年を過ごした柏市(2003年)のほか、三鷹市(2006年)などでも展覧会が開かれている。
高島野十郎のデータ
- 福岡県出身
- 生誕:1890年(明治23年)8月6日
- 死没:1975年(昭和50年)9月17日