橋本 雅邦

【はしもとがほう】

明治期の日本画家。本名は長郷。幼名は千太郎。号は勝園。別号に、十雁斎、克己斎、酔月画生など。

5歳の頃から実父より狩野派のてほどきを受け、1860年、雅邦の号をもらって絵師として独立。

当時既に絵画の需要は少なく、情勢も相まって不遇であったが、アーネスト・フェノロサによる伝統絵画の復興運動であり、フェノロサの庇護を受けていた芳崖と共に新しい表現技法を模索するようになる。

東京美術学校の開校にも貢献し、下村観山や横山大観、菱田春草、西郷孤月、川合玉堂、寺崎広業、橋本静水らを指導しており、その指導が近代美術に及ぼした影響は大きい。
しかし明治31年(1898年)には天心が罷免され(美術学校騒動)、雅邦も職を辞し日本美術院の創立に参加した。

以後、雅邦は在野でありながらも画壇の重鎮として重んじられ、美術院の活動の傍ら後続の指導などを行っている。

橋本 雅邦のデータ

  • 江戸木挽町(現東京都中央区銀座)出身
  • 生誕:1835年8月21日
  • 死没:1908年1月13日(72歳没)
  • 国籍:日本
  • ジャンル:日本画

橋本 雅邦の主な作品

  • 『白雲紅樹』1890年 東京藝術大学大学美術館(重要文化財)
  • 『竜虎図』1895年 静嘉堂文庫(重要文化財)

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