
1828年に狩野派の絵師の家に生まれる。
由一にとってイギリス人画家ワーグマンとの出会いが決定的であったのと同様、芳崖にとってはアメリカ人の美術史家フェノロサとの出会いが重要であった。
日本美術を高く評価していた、フェノロサは日本画の伝統に西洋絵画の写実や空間表現を取り入れた、新・日本画の創生を芳崖に託した。フェノロサとで会ったのは1882年、すでに54歳であった芳崖に残された時間はあまり多くなかったが、さまざまな試行錯誤の結果、畢生の名作「悲母観音」が誕生した。この絵の観音像の衣文表現などには仏画や水墨画の描法が看取される一方、色彩感覚や空間把握には西洋画が感じられる。
芳崖は東京美術学校の教官に任命されたが、「悲母観音」を書き上げた4日後の1888年11月5日、同校の開学を待たずに死去した。
狩野芳崖のデータ
- 山口県出身
- 生誕:1828年2月27日
- 死没:1888年11月5日(60歳没)
- 国籍:日本
- ジャンル:日本画